浄土真宗 (東本願寺)で言う、「善人の家と悪人の家」

 今日、仏壇にお参りに来ていただいたのですが、  その時に、「法語カレンダー」と共に、「真宗の生活」という冊子を頂いた。  この中に、「善人の家と悪人の家」というお話が掲載されていたので、紹介します。  みなさんのお宅では、どうでしょうか。  我が家は、残念ながら、「善人の家」のようです。  「悪人の家」になるように、皆で話し合いたいと思っています。 --…

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良寛禅師の奇話

 良寛さんの素顔は、  口数が少なく、動作は、のんびり、ゆったりとされていた。    お酒が好きで、ワリカン酒を酌み交わされていた。  若い頃には、厳しい主義要をされたが、お歳を召してからは、たばこも吸われた。  ケタ外れの忘れん坊だった。  このようなお話を聞くと、ますます、親しみがわいてきた。  

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お盆の墓参り

 本当は、もっと早く行かなければならなかったが、この暑さと、用事が重なってしまって、今日、13日の墓参りとなりました。  暑くなる前にと思って、自宅を8:00に出発し、45分には、霊園に到着しました。  いつも通り、少し伸びていた草を掃除して、花を活け、線香をたいてお参りしました。  帰りの車内で、信号待ちのときに撮影した写真です。

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東大寺のお水取り

今日も寒い日で、たまたま、「お水取りが終わらないと暖かくならないね」という話がでた。 いつも「お水取り」といっているが、 本当は、東大寺の修二会(しゅにえ)という大きな行事の中のひとつの行事のようです。 その行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)に、 「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から 観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げ…

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仏教の宗派

 仏教の宗派には、色々あることは知っていた。  真言宗、浄土宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗などなど……。  日本の伝統的な仏教には10以上の宗派があり、それらの宗派がさらにいくつも枝分かれしており、派閥は160に及ぶようだ。  「南無阿弥陀仏」と唱えれば浄土宗か浄土真宗か時宗であり、  座禅を組めば臨済宗か曹洞宗、  「南無妙法蓮華経」と唱えれば日蓮宗である。  …

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日本語の中に隠れた仏教

 昨夜のたけしさんの番組で、「日本語の中に隠れた仏教」ということで、日常、よく使われている言葉が仏教からきているとの紹介があった。思い出す限りを掲載しておきたい。 ・玄関  もともと「玄妙な道に入る関門」という意味で、仏門に入るいとぐちを指しており、寺の門、特に禅寺の入口に使われるようになり、やがて一般の家の入口もそう呼ぶようになったとのこと。 ・ガタピシ  擬声語ではな…

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自力と他力

 仏教でよく使われる自力と他力について、色んな見方があるようです。 ・他力本願では、いつまでたっても実力がつかない。自力を良しとする考え方。 ・他力を他の力と解釈すると、自分では何もせず誰か人に任せきりにすることで、自力は、自分の力だけで努力し、何かを成し遂げる力であるとなる。自力は、積極的で、他力は、消極的である。自力を良しとする考え方。 ・他力とは、利他の力、すなわち、他人…

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禅(ZEN)を観て

 禅(ZEN)という映画を観る機械があった。この映画は、曹洞宗の開祖である道元禅師を描いたものであり、宋の国へ修行に行って悟りを得る所から、永平寺に入る経緯、北条時頼との禅問答などが描かれていた。ひたすら座禅にて悟りを得るという教えであり、「正伝の仏法とはどのようなものだ」と問う時頼に、道元は「只管打坐・・・ただ坐り、あるがままの真実の姿を見ることこそ、悟りなのです」と語り、池に映る月を…

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彼岸の墓参りに行って来た

 9/20に「彼岸入り」し、9/23が「秋分の日」、9/29が「彼岸明け」ということで、今日、9/21 朝8:00に家を出て、8:45には、お墓に到着、親戚のお墓と合わせて、3つのお墓に花や線香を立てて、30分程度で、お参りを終えた。行きは、道路も空いていたが、帰りは、少し混んでいて、10:30頃に帰宅した。その後、お昼を孫たちとくるくる寿司の「くら寿司」で済ませ、夕飯などの買い物をして、今、帰…

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請求書の祈りと領収書の祈り

 「ひろ ちさや」氏の投稿より抜粋させていただきました。 <請求書の祈り>  神様や仏様にお願い事をすることがよくありますが、「合格させてください」、「宝くじに当たりますように」、「病気を治してください」などのような祈りは、「請求書の祈り」であり、誰かが合格すれば、だけかが落ちる、誰かが宝くじに当たれば、誰かが外れる、病気をする人がいなければ、お医者さんがいらなくなるなどのように、困…

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禅の極意、いのちの尊さについて

 曹洞宗 板橋興宗氏の講和より抜粋させていただきました。 <丹田呼吸のすすめ>  「ゆっくりと息を吸って、丹田(おへその下あたり)におろしてから、ゆっくりと息を吐き切る」、これを五回ほど続けると、不思議と落ち着いた気持ちになるようです。 <長い息で長生き>  ネズミの脈拍は、0.1秒に1度、象は、3秒に1度だそうで、当然、象の方が長生きです。人間もせかせか息をして、せかせ…

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「般若心経入門」の著者 松原泰道さん死去

 「般若心経入門」の著者 松原泰道さんが、101歳で死去されたとのこと。ご冥福をお祈りいたします。私自身、考える所があって、在家僧侶の資格を取得しましたが、その過程で、般若心経を学ばせて頂きました。  般若心経の一節、一節には、深い意味があることも学ばせて頂きました。ただ、私自身、「空」の境地には、なかなかなることができず、未だに、修行中です。  これからも、般若心経の一節、一節を大切に、修…

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法演の四戒

 禅の世界の教えに、「法演の四戒」というものがあることを知り、少しその内容を勉強してみた。中国の宋の時代、五祖山という山におられた五祖法演という高僧の弟子である仏鑑慧懃(ぶっかんえごん)が住職になるときに、四つの戒めとしたものとのこと。 第一 勢い使い尽くすべからず  これは、学力、財力、権力などの自分が持っているさまざまな勢いを使いつくすなということで、「自分には力があるからと、い…

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仏さまの「ものさし」について

 ふと、目にした資料の中に、仏さまの「ものさし」という記事が目に留まったので、紹介したい。  「仏さまのものさしは 善か悪か 浄か不浄か」であり、「わたしのものさしは 損か得か 好きか嫌いか」であるというものであった。  これは、薬師寺執事の大谷徹奘師の書かれたものであった。これは、お釈迦様の教えを意味する「度」を「得る」という得度から来たものであるとのこと。「度」を「ものさし」と読むことで…

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「自由自在」について

 「自由」は西洋的、「自在」は東洋的という記事を読む機会があった。薬師寺執事の大谷徹奘という方の記事であった。そもそも、「自由自在」とは、仏教語大辞典では、「心のままに万事を動かすこと。とらわれない、安らかで、のびのびとした心境、また、そのはたらき」であるとのこと。  ところが、仏教の経典には、「自由」という言葉はでてこないようです。一方、「自在」の方は、般若心経のはじまりの「観自在菩薩」…

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如来さまと菩薩さまの見分け方

 如来さまと菩薩さまの見分け方という記事を目にする機会があったので、紹介します。  如来さまと菩薩さまは、服装が違うので、簡単に見分けられるようです。  裸の上に衣一枚だけをまとっているのが如来さまで、十分に修行を積んで、内側からお徳がにじみ出て、仏さま自身が美しく輝いているため、余分なアクセサリーはいらないからだそうです。  一方、菩薩さま(修行中)は、冠や腕輪などを見に付け…

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お釈迦様の三つの教え

 偶然、お釈迦様の三つの教えという記事を目にする機会があったので紹介します。  ①今、自分が話そうとすることが真実かどうかを確かめる。  ②それを伝えて、相手のためになるかどうかを確かめる。  ③それを伝えるのに時と場所を選ぶ。  ①~③の確認ができたら、相手の好むと好まざるとに関わらず伝えることが大切である。  このように、言われても、なかなか難しいかなというのが実感です…

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寂庵法話集より (祈りについて)

 寂庵法話集 第十巻「祈りについて」を拝聴する機会があったので、感想を述べます。 最初は、人生というのは、生きてみないと分からない、先のことは何が起こるか分からない、だから、人生は生きる甲斐があるというお話であった。本当にその通りですね。今までが、良かったから、これからも良いとは限らないし、これまでが、良くなかったからといって、それが続くとも限らないですね。世の中、水の流れのように、自然に…

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寂庵法話集より (死と墓について)

 寂庵法話集 第九巻「死と墓について」を拝聴する機会があったので、感想を述べます。 最初は、ソ連崩壊の話がありました。当時、誰もが想像すらしていなかったアメリカと並ぶ強国が、崩壊してしまったことは、驚きであったが、これも人類が平等を追い求める過程で起こったことであり、このこと一つを見ても、世の中、無常である(良いことも悪いことも続かない・・・常ならず)ということを表しているのだろうという話から始…

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「与える心」について

 奈良さんという法清寺住職の方の「与える心」という記事を読んで、感銘したので、概要を紹介します。仏教の教えの二本柱の大事なものとして、「智慧」と「慈悲」というものがある。「智慧」は、真実を見通すことで、「慈悲」は、智慧の目を持って相手を思いやることだということです。  このことは、なかなか難しいなあと思いました。世の中で起こっている様々なこと、例えば、まだ記憶に新しい民主党のメール問題にしても…

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「清風に心を開く」について

 酒井大岳という曹洞宗のご住職の記事の中に、「清風に心を開く」というものがあり、興味を惹かれたので、読んでみました。出展は、お釈迦様の教えの一つであり、「天地を見て非常と想い、山や川を見て非常と想い、万物の盛んな躍動を見て非常と想い、そのことによって、執着する心を持たなければ、早いうちに悟りの境地を得るであろう。」ということからきているとのこと。文章の通りなので、特に、解説はしませんが、自分自身…

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寂庵法話集より (老いについて)

 寂庵法話集 第八巻「愛について」を拝聴する機会があったので、感想を述べます。  先ず、最初は、ボケは、好むと好まざるとにかかわらず、突然、やってくる。若い頃から、頭がいいとか、年老いても頭を使っているからとか、体調を気遣って、毎日、ジョギングしているからとかに関係なくやってくるので、覚悟しておきなさいということでした。万一、身近に、ボケが始まった人や家族がいれば、優しくしてあげることが、回復…

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節分星祭について

 毎年、2月3日の節分の日には、休暇をとって、近くの観心寺におまいりしています。今は、定年となり、休暇をとる必要はありませんが、今日も朝、10:00頃に、お参りしてきました。ここでは、11:00と15:00の2回、餅まきと称して、供物のお餅やお菓子が、やぐらの上から、投げられ、参拝した人が、小さなバケツや、紙袋などで、受け止めて、持ち帰ります。年々、人出もおおくなり、多少、危険性もあるので、3年…

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寂庵法話集より(愛について)

 寂庵法話集 第七巻「愛について」を拝聴する機会があったので、感想を述べます。この中では、ふたつ、大きく勉強になったことがあった。ひとつは、聞く耳を持つということで、どうしても、凡人の悲しさから、よく人の言うことを聞かないで、先走って失敗することがある。世の中のこと、じっくりとお互いが相手の言うことを聞いて、理解しようと心がければ、すべてのことが解決するであろうに、色んな事件が多すぎるように思う…

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寂庵法話集より(彼岸・六波羅蜜について)

 寂庵法話集 第六巻 「彼岸・六波羅蜜について」を拝聴する機会がありましたので、感想を書きます。祝日にもなっている彼岸のことと、六波羅蜜のことについての話でした。  まず、彼岸ですが、春と秋の2回あって、祝日の日は、彼岸の中日で、前後、3日間を含めて、七日間であることは、ご存知だと思います。ところで、彼岸とは、どういう所かというと、極楽浄土のことで、我々が生きているこの世は、此岸(しがん)と言…

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寂庵法話集より(無常について)

寂庵法話集 第五巻 「無常について」を拝聴する機会がありましたので、感じたことを書きます。無常とは、仏教の根本思想で、いい事も、悪いことも、物事は、すべて移り変わっていくということを意味するとのこと。よく、自分には、良いことがひとつも無いと嘆く人がいるが、待っていれば、必ず良いことがめぐってくるということであろう。次に、長生きの秘訣として、「転ばないこと」、「大食いしないこと」、「怒らないこと」…

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寂庵法話集より(巡礼について)

寂庵法話集 第四巻 「巡礼について」を拝聴する機会がありましたので、感じたことを書きます。昔の巡礼は、今と違って、修行を兼ねたものであり、かつ、途中で何が起こるかわからない、即ち、無事に歩いて帰れるかどうか分からなかったので、万一、死ぬようなことがあったときのことを考えて、死に装束ででかけたということのようです。要は、決死の覚悟で、巡礼の旅に臨んだということである。巡礼すると良いことは、自分の日…

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寂庵法話集より(釈迦について)

寂庵法話集 第三巻 「釈迦について」を拝聴する機会がありましたので、感じたことを書きます。お釈迦様が生まれてすぐに、「天上天下唯我独尊」と言ったという話があり、「天にも地にも自分一人が尊い」というように聞こえるが、実際は、「自分の今、受けた命は、天にも地にも唯一の尊い命である」ということが正しいとのこと。即ち、一人一人が、かけがえの無い命であり、みんな尊いということ。即ち、自分の命が大切で殺さ…

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寂庵法話集より(修行について)

寂庵法話集 第二巻「修行について」を拝聴する機会があり、感じたことを書きます。まず、修行には、千日回峰行というのがあるそうで、比叡山で、1日に山を一周し、それを文字通り、千回行う修行とのこと。大体、山の上から麓まで、山道を踏み越えて歩く距離が、30キロもあるとのこと。この修行を通じて、ひとつの修行が終わるのですが、酒井雄哉(さかいゆうさい)さんという偉い住職は、それを二回も修行されたとのこと…

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寂庵法話集より(出家について)

 たまたま、寂庵法話集を拝聴する機会がありました。今日は、その第一巻「出家について」を拝聴したコメントを書きます。在家僧侶の資格をとっていたので、大乗仏教と小乗仏教の違いは、理解していたつもりであったが、今回、改めて、その違いを再認識することができた。即ち、大乗仏教とは、「自分のことは置いておいて、人のために尽くしなさい」という思想であり、僧侶は、赤い衣をまとう。一方、小乗仏教は、「自分の修行に…

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