戦後70年について

 2015年は、戦後70年の年であった。

 1943年生まれの私にとっては、終戦の1945年は、まだ、2歳にもなっていなかったので、

 かすかな記憶としては、母親に連れられて、防空壕に避難したことくらいである。

 その後、世の中は、日々の生活にも苦しかったようであるが、

 生家は、わすかな田畑があったため、父親が、中学校の教師をするかたわら、

 兼業農家としての暮らしをしていて、食べるということでは、恵まれていた。

 ただ、父親が休みの土日とか、夏休みなどは、ほぼ、毎日、田畑の手伝いをしていた。


 このため、折角入った運動クラブも、夏休みまでで、やめざるを得なかったのが、残念であった。


 その後、大学まで行かせてもらい、社会人となったが、

 世の中の進歩(右肩上がり)にも乗り、何とか、平凡な現役時代を過ごさせてもらった。

 
 60歳で、健康問題もあって、完全リタイアし、年金生活になって、現在に至っている。


 私がリタイアする直前頃から、世の中はデフレ化が進み、

 成果主義とか、グローバル化とか、工場の海外移転などで、日本国内での仕事が大幅に減ったり、

 非正規社員が、どんどん増えて、何かが狂い始めたが、現在に至るまで、良くなってはいない。


 一方、海外では、未だに、戦争と言えるかどうか判らないが、テロという大きな問題が残ったまま、多くの方が犠牲になっている。


 韓国や中国、ロシアなどと日本との領土問題も、70年という年月の中でも解決せず、玉虫色でしかない。

 早く戦争などの危惧のない世界が来て欲しいが、

 宗教問題なども絡んで、非常に難しい状況である。


 そのため、沖縄を初めとして、日本国内にある米軍の基地問題や北朝鮮の拉致問題、韓国との従軍慰安婦問題がズルズルと引き伸ばされてきている。

 早期に政府の強力な指導のもと、双方の政府だけでなく、各国の国民も納得できるような解決方法を見出していただけることを期待したい。


 このままでは、戦後、100年経っても、玉虫色のままで、子どもや孫たちの世代に先送りになってしまうので、それだけは、何としても避けて欲しいと願うばかりである。


 最後になるが、原発問題は、何時終わるかわからない、果てしない問題を抱えたまま、止めても問題あり、継続したら、さらに問題ありで、問題が先送りになっているのが、悔やまれる。こうなると、未来の科学者達が、核のゴミの処理方法を研究開発してくれることを、ただ、祈るしかないのかも知れない。















 

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